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古勝テスト

京都の南部青谷村は、かつて1951年に久世郡久津川村、寺田町、富野荘村、相楽郡青谷村の4村が合併して、現在の城陽市ができた。ちょうど、京都市と奈良市のほぼ中間にあります。市南部の東西に流れる川が青谷川になります。江戸時代、南山城村を有名にしたのは、湯八谷(宇治田原)の永谷宗円が緑茶の製法を発明したことで、宇治茶ブランドが全国に広がった

江戸末期の1853年米大統領国書を持ったペリーが黒船四隻を率いて浦賀に来航したとき、人々は幕府の弱腰を皮肉って「泰平の眠りをさます上喜たった4はい(四隻)で夜も眠れずと上喜撰と蒸気船(黒船)をかけて狂歌に詠んだが、これは別の見方をすれば、狂歌に詠まれるほど宇治煎茶の上喜撰がすでに全国に流通していたことになる。

ペリー来航の翌年、幕府は日米和親条約を締結する。全文二〇条の短い条約だが、鎖国体制に終止符を打った重要な条約だった。

一八五八年の日米修好通商条約では、函館、神奈川(横浜)、長崎、新潟、兵庫(神戸)を貿易港とした。日本はこの五港からの貿易により、世界に開かれたのである