今日の京都は雨。

京都の紅葉もこれから

今日はゆっくり抹茶の勉強。

抹茶の特徴喫茶の伝来。

日本史において、喫茶に関する記述が最初に見られたのは「日本後記」においてです。815年、嵯峨天皇が近江国(滋賀)韓崎に行幸の途中に梵釈寺に立ち寄り、崇福寺の僧、永 がお茶を献じたとの記述があります。奈良時代、唐から日本に茶が伝来したと伝えられており、この頃は唐式の団茶と呼ばれる固形の茶が飲まれていました。このことから、永忠が献じたのは、円盤状に固めた餅茶(へいちゃ)と呼ばれるものではないかと考えられています。餅茶とは、茶の生葉を蒸して、つき固めて成型・乾燥したものです。飲用時には、香りを高めるため火で焙ってから必要分を切り取り、薬研のようなもので粉にし、沸騰した場に入れて煎じて飲むもので、今の抹茶とはやや異なる飲み物だったと思われます。このような喫茶の風習は、天皇、貴族、僧侶などに限られた範囲でありましたが、平南時代を通じ13世紀初頭まで続いたものと考えられています。

抹茶の普及と茶の湯の確立

中国では、宋の時代になって、喫茶の方法もそれまでの煮出して飲む餅茶から、より微粉にした茶を茶筅で撹拌して飲む点茶法に変わってきました。今日見られる抹茶の原型です。日本でもこの喫茶法が修業中の僧侶たちの睡魔を除く目的で広まり、抹茶を飲む習慣が定着したと考えられています。その後、臨済宗の開祖、栄西によって茶の薬学的効果を説いた「喫茶養生記」(1211)が著され、茶が広く普及するきっかけとなりました。室町時代に入ると、村田珠光によって茶と禅の精神の融合による侘び茶が提唱され、その精神は村野 鴎、今井宗久、津田宗及、千利休、古田織部へと引き継がれ、茶の湯の体系が整えられました。一方、織田信長、豊臣秀吉といった時の有力者たちは権力を誇示するためのツールとして茶の湯を利用するようになり、茶生産および流通に政治的な力が大きく関与するようになりました。江戸時代になると茶の湯が幕府儀礼に採り入れられ、武家茶道とともに全国に広がりました。明治維新により、茶の湯が低迷する時期もありましたが、教育的観点から茶の湯が着目され、家元を中心とする茶道が組織化され茶道人口は拡大しました。近年は茶道利用だけではなく、飲料原料や食品の風味付けの素材として幅広く抹茶が利用されています。(京都府農林水産技術センター茶業研究所)